スコットランドゴルフ紀行(2) (2010.11.15)
番外編
7月4日(土)現地時間午前4時起床。既によっちゃんも起きています。歳のせいか日本でも早起きのふたり。セント・アンドリュースのまだ日が昇りはじめた朝焼けの中,散歩と洒落込みました。まだ,道行く人はありません。昨日の小雨は上がり,今日の天気は私の気持ちと同調したのか,とってもすっきりです。 ここでセント・アンドリュースについて,ちょいと蘊蓄を。位置的には連合王国スコットランドの北東ファイフにあり,北海に面する海辺の街です。人口1万7000人足らず。街の名は,イエスの使徒シモン・ペテロの兄弟とされている聖アンデレ(英語読みではアンドリュー)にちなんで命名されています。スコットランド最古の大学で,あのダイアナ妃の遺児であるウィリアム王子が卒業したセント・アンドリューズ大学をはじめ,セント・アンドリュース城,セント・ルールズ・タワー,聖堂等数々の廃墟が残っています。

ゴルフプレイは,諸説はあるようですが今から少なくとも400年以上前に,ここセント・アンドリュースのオールドコースあたりで発祥したといわれております。その証拠に,当時の国王が貴族たちがゴルフにうつつを抜かすのを見かねて,ゴルフ禁止令なるものを布告したことが史実として残っています。オールドコースが,「ゴルフの聖地」といわれているのは余りにも有名です。このコースは,リンクスといわれる地形をあるがままの姿で利用しており,波のようにうねるフェアウェイ,数多く直角に切り立った深いバンカー,打ち込めばロストの確率が高いラフに,加えて,海からの強風をはじめとする1日に四季があるとさえいわれるめまぐるしいまでのコンディションの激しい変化と,つまり極めて難度の高いコースなのです。ゴルフ界で最も権威あるRoyal&Ancient Golf club of St.Andrews(通称R&A)の古い建物は,オールドコースのクラブハウスでもあるのです。また,ゴルフ界の世界4大メジャー大会のひとつである全英オープン(第1回1860年開催)は,イギリスの9つのリンクスコースで毎年コースを替えて開催されていますが,セント・アンドリュース・オールドコースは5年に1度は開催地とするという慣例があります。私たちが訪れた翌年の今年2010年,ここで全英オープンが開催されたのは記憶に新しいかと思います。石川遼が,ボールをラフに打ち込んで衆人環視の中に拘わらずロストとなりましたよね。それくらい深く複雑なラフなのです。

プラクティスセンター
さて,散歩です。野郎ふたりあてもなく,ただなんとなく古い古い建物に沿って歩き始めました。まずは海の方へと10分くらい歩き,日の出を楽しみつつ,さらに海を目指して下に降りていきました。すると,いきなりビンゴでした。そこにはオールドコースの18番グリーンとR&Aがあるではないですか。しかも18番グリーンの先にはうっすらとあのスゥイルカン橋も見えてきました。英語で書いてある注意書きによると,日曜はゴルフ場の営業はなく公園として解放されているみたいです。今日は日曜ではありませんが,まだまだ早朝,失礼して早速ゴルフ場内を散策しました。数々の名を残している大変なポット・バンカーを見つつ,早くも心は当日のラウンドに向いてきました。ここセント・アンドリュースにはオールドコースの他,ニューコース,ジュビリーコース,エデンコース,ストラスティラムコース,バルグーブコース,キャッスルコースの計7つのコースがあるのです。私たちは,ここに3泊してジュビリーとニューを回りました。憧れのオールドコースは通常のコネでは事前予約することが出来ないばかりか,ハンディキャップ制限があって,ヘタは回れず断念したのでした。
充実した散策も終わり,BBへ戻り朝食です。朝食は,イングリッシュブレックファーストです。焼きたてのパン,コーヒー,紅茶に冷たい各種フレッシュジュース,フルーツ,サラダ,ヨーグルトなどはブュッフェスタイルでセルフになっています。加えて,朝なのにメイン・ディッシュは個別にオーダーを聞かれて,メニューから卵料理にソーセージ,ベーコン等のイギリスの家庭料理を注文するのです。朝からたらふく堪能しました。ちなみに,BBの料金は,1泊朝食付で1泊1人約11000円でした。腹ごなしも終わり,時差ぼけの体調も戻りつつ,4人はレンタカーに乗って,私の運転で(結局,最後まで私がずっと運ちゃんでした)ジュビリーコースへ出発です。散歩の際に確認していたこともあり,8時半過ぎ,10分足らずでクラブハウスに到着です。予約がちゃんとあるのを確認後,スタート時間には十分余裕があります。聞けば練習場があるといいます。歩くには遠いということで車で移動しました。現地の子どもたちは,軽そうな小さなキャディバックをリュックのように背負って自転車に乗って練習場通いです。ゴルフ練習場はもの凄く広くて,数えてないけど打席はとにかくたくさんあって,ボールの飛散避けのネットなどないし,必要ないくらい広くて,打席から奥行きまで300ヤード以上はありました。ここで思い思いに100球くらい打ち込んで調整です。そして初ラウンド。たぶん,申し込めば使えたとは思いますが,着替えにクラブハウスは使いません。プレー待ちしている当地の英国人と同じように,駐車場の自分たちの車の前で着替え,プレーの準備をします。

オールドコース18番からオールドコースホテルを臨む
ゴルフスタイルは本来,セルフプレーが基本であることはわかっています。しかし,コース図はありますが,狙い所とかほとんどわからない上に,ボールがラフに入ると探すのが大変ということを聞いて,キャディをお願いすることにしました。ちなみに,キャディは現地のキャディ研修を経た認定書を身分証明書として首から下げていました。そして,プロと同じく1人につき1人つくのです。さらにキャディは,各プレーヤーのキャディバックを肩から担いで同行するのです。ちなみに,ジュビリーのプレイフィーはひとり約1万円,キャディフィーは約9000円(いずれも当時のレート)でした(セルフだと1万で回れるんですね)。
快晴,弱風時々強風。ジュビリーコース・レギュラーティー1番337ヤードパー4,打順はローハンデ順です。私がトップでティーショットしました。ボールは確実にヒットしたのですが,少し(?)右に曲がって,落下点まで行けば,いきなり出すだけのバンカーにありました。その後,出すだけのラフもしっかりと経験して,このホール,ダブルパーの8,最悪のスタートです。しかし,2番ミドル,3番ロングと連続パーで持ち直し,4番ミドルでパーオンし,気分良く3連続パーを狙ったものの,何と4パットしてダボ。5番ショート及び6番ロングで再び連続パー。しかし,7番ミドルでトリ,8番ミドルでパー,9番ショートはボギーフィニッシュ。ハーフ46,まずまずのスコアでした。しかし,気をよくしたはずの後半は,パーは2つしか取れず,ロストやら何やら,加えて最終18番ホールではOBを2連発して大きく崩れて54,初ラウンドは100でした。もちろん(?)他の3人も散々であったことはいうまでもありません。ひとつ付け加えますと,ゴルフルールでは,ボールをロストすると打球地点に戻って打ち直しですが,進行を促進するためか,キャディによれば,ローカルルールとして,ロストはなくなった付近から1打罰でプレーできることとされていました。4人ともこのルールの恩恵に大いにあずかったことはいうまでもありません。
お昼抜きのスループレーでラウンドを終了してBBに着けば,まだ,午後3時前でした。この季節,日本では真夏ですが,当地での気候は摂氏25度を超えることはほとんどなく,プレー前後とも汗びっしょりということはありませんでした。むしろ,出国前には防寒対策を考えていたくらいでした。いずれ,各自部屋のお風呂でさっぱりしてバーに繰り出すことになりました。よっちゃんの事前調査に従い,セント・アンドリュースの街に徒歩で数分行けば,どこにこんなにたくさんの人がいたんだろうと思わんばかりの雑踏の中,オススメの「セントラルバー」はありました。店のドアや窓は開放されており,外にもパラソル付のテーブルはあるのですが,私たちは店内のテーブル席に陣取りました。先ほど言ったような気候柄ですので,店内に冷房などありません。ちなみに,BBにも冷房はありませんでした。バーでの支払は,ビールや食べ物を注文して受け取るときに現金払いです。チップは,帰るときにテーブルの上に,その日支払った総額の5~10%くらいのお金をコインで置いていきます。 まずは,適当に英語で超冷たいビールを注文して乾杯です。実は,バーカウンターにはビールの種類ごとにサーバー器があったり,ラベルが貼ってあり,注文するときはそれを指差せば理解してもらえます。お金の支払いは,札を渡して釣り銭をもらうか,自分の手の平にコインをたくさん乗せて示せば,そこから適当に取ってもらえます(大雑把でいいでしょう)。もちろん,フィッシュ&チップスやソーセージにチキンなどをつまみに,今日のゴルフの反省会がはじまったのは言うまでもありません。

オールドコース18番スゥイルカン・ブリッジ
翌日は,ニューコースに挑戦です。スタートは午前7時12分と早めです。セント・アンドリュースでは,その名の通りニューコースは新しいのですが,ニューコースがゴルフ場としてオープンしたのは100年以上も前のことでした。日本で最初にオープンしたゴルフ場は,六甲山の神戸ゴルフ倶楽部ですが,開場は1903年とされています。さすが,ゴルフの本場スコットランドです。

セントラルバーにて(よっちゃん・作どん)
この日,セントラルバーでついつい飲みすぎて,いい気分になったよい子中年4人組は,ゴルフ疲れと時差ぼけの最終調整とを併せて,夜8時頃には床に就くことになりました(つづく)。
