読書して涙しますか?(2010.5.24)
大崎善生 「アジアンタムブルー」 角川書店
さすが弁護士だけあって,仕事で専門書に精通しているだけでなく,本と言えばやはり何やら難しそうなものばかりを読んでいるんだ,との誤解をしていませんか。そんなことは決してありません。このごろは歳を取ったせいか,涙もろくなって恥ずかしい思いをよくします。例えば映画館で涙して,劇場内が明るくなるのを恥ずかしく感じたときのような。映画,テレビだけでなく文章を読んでいても,悲惨なシーンや,ともすれば死を迎える場面でも同様です。先日も,友人の宝塚にいる娘さんの新人公演のラストシーンで,不覚にも長女に見られてしまいました。長女は私の様子を確認して「やっぱりね」という表情でおもしろがっているのです。
ところで,読んでいるものは極く大衆的です。飲み事もなく帰宅した日には,ちゃちゃっと軽く飲んでご飯を食べれは,テレビを見ることもなく,ひとり自室で眠くなるまで何もすることがありません。ベット,バス,トイレははもちろん,移動する交通機関,待ち時間や歩いてるときすら読んだりします。自分であれこれと手に取って買い求めるのもいいですが,最近はアマゾンでクリックすれば,配送されてくるのでとても便利です。ただ,いくらたくさん読んでいても,これはというのは多くありません。だから読書好きの方からの情報はとても貴重です。「最近おもしろいのあった?」と。今回ご紹介するのは,思い切って,冒頭の涙もろい私が「感動した」「涙した」数多くの中の一冊という基準です。
どの作品でも著者の略歴は興味津々で,本書の大崎善生さんは1957年札幌生まれ。確か早稲田出身でもと将棋雑誌の編集者。遅咲きで2000年にノンフィクション「聖の青春」でデビュー。同書は子どもの頃から病気と闘いながら29歳という若さで膀胱ガンで亡くなったA級棋士村山聖の青春を描いたもので,当時,新潮学芸賞を受賞してベストセラーになりました。ちなみに村山聖プロは,羽生名人と入門は同時期で終生ライバル。著者はその後もノンフィクションを得意分野とし,翌年の「将棋の子」では講談社ノンフィクション賞を受賞。そして満を持して手がけた初の小説「パイロットフィッシュ」で吉川英治文学新人賞,飛ぶ鳥の勢いで流行作家の仲間入り。その後,ノンフィクション,恋愛小説を多く書いています。ビール大好きの飲んだくれ作家で,作家としての歴史が浅いのと,私と同世代で文章の波長が合い,過去の時代描写も懐かしくて,著書はハードカバーで全部読んでいます。45歳にして結婚,お相手は業界で著名な21歳年下の女流美人棋士。テレビの将棋番組でこのことを知ったとき,思わず怒りすら覚えました。さて著者略歴が長くなりました。作品です。アジアムタムブルーは,先のパイロットフィッシュの次の作品で,これまた初の長編です。といっても1頁1段書きのすかすかの326頁で校了。主人公であるエロ本編集者隆二と水溜まりの写真を撮り続けたカメラマン葉子の大人の愛の物語を描いたものです。アジアンタムは,鉢植えの観葉植物としてよく見かけられるが,もともとは熱帯性・非耐寒性で,寒い環境に順応できなくて弱っている状態のことを,アジアンタムがブルー(憂鬱)になっているとの意味でアジアンタムブルーといっているそうです。ちなみにブルーを乗り切れなければ根腐れして枯れ果ててしまう。だけど,乗り切ってしまえば,その株は強くなり冬も越すことができて,その後はブルーが訪れることはないという。小説の冒頭で隆二はどういう訳か一人ブルーになっています。そのわけが次第に明かされることになりますが,既に葉子は過去の人となっており,現在と過去の回想とが同時進行する手法で物語は進んでいきます。葉子と出会うまえの隆二の少年時代のこと,彼のこれまでの女性遍歴,どういうわけかSMの女王の登場,そして葉子との出会い。吉祥寺の隆二のアパートに葉子がアジアンタムの鉢を抱えて転がり込むところから二人は暮らし始め,やがて隆二の裏切りから葉子は隆二のもとを去ってしまいます。時を経ず再び,惹かれあう運命の二人。隆二がエロ本のヌード撮影に立ち会ってポーズを指示したり,どうしたら売れるエロ本を出せるか編集に精を出しいる様が,未知の世界で実におもしろい。葉子はライフワークにしている水溜まりの撮影旅行先の金沢で突然倒れます。そこから先は予想通りの展開です。隆二はすべてを投げ出して葉子に献身的に尽くします。葉子の死を覚悟した二人はニースへと旅立つ・・・。さて場面は葉子がいなくなった帰国後のアパート,隆二はニースでの荷物を整理していて偶然に,葉子が死の直前に残した手紙を見つけます。手紙に書かれていた事実とは?喪失感の中で隆二も次第にブルーから立ち直ろうとしていきます。とまあ,ストーリーはどこにでもありそうなものですが,ついつい著者から体験談の告白を受けているようで,その手法に引き込まれてしまいます。もう使うことはないと思うけど,これはいずれ使えるという台詞も多々ありました。以下には感動的な一小間を紹介します。死を直前にした葉子が言いいます。「もう一つだけお願いがあるの」「私が死んでも・・・優しい人でいてね。」「私にしてくれたようにいつまでも優しい人でいて。私が死んでいつか次に出会った人にも同じように優しくしてあげてね」「・・・・・」「そうしたら,私,死ぬことなんか少しも怖くない。・・・」「ぼくは葉子の言葉の意味を考えようとしたが,少しもうまくまとまらない。何かを考えるには,あまりにも海が近すぎた。」これだけで泣いたりしないですよね。内容的にも軽くて一気に読める一冊です。最後に,作品は2006年にあの阿部寛と松下奈緒で映画化されましたが,私は見ていません。見て泣けるようでしたら教えてください(了)。
