自然と生きる (2010.7.19)
久保 俊治 「羆撃ち(くまうち)」 小学館
年に数回,大分の久住山(1787m)と由布岳(1583m)に登ります。いずれも登山道が整備されており,ハイキングレベルで誰にでもオススメできます。ちなみに牧ノ戸登山口を使えば,久住山の方がきつくないようです。今でも,子どもたちと時間を競って登ることもあります。彼らには,3歳の頃からの年中行事で慣れたものです。山開きは,いずれも5月初めとされていますが,登山に季節は問わず,四季折々の風景に趣があります。加えて,いつだって山頂でガスもなく快晴に恵まれれば,超ラッキーです。ただ,降雪の日は避けたほうがいいかと。いちど,息子と二人,降雪のなか由布岳に挑戦しました。上に行けば深いところでは50㎝以上の積雪です。アイゼンなしでは,東峰と西峰の二つの山頂を臨む「またえ」(ここから山頂までは好天であれば20分くらい)までが限界でした。メチャクチャ寒くて凍え,本当の凍傷になりそうでしたが,価値ある体験でした。登頂すれば湯を沸かし昼食を摂ります。山頂ではカップラーメンが旨い。どういうわけか,とにかく旨いのです。夏は,これに小さなクーラーに入れた冷たい缶ビールを持参すれば,もう言うことはありません。目を瞑って想像してください。いま高い高い山頂にいます。快晴のなか360度のパノラマがそこにあります。さあ存分に楽しんでください,至高のひとときを。山が「そこにあるから登るもの」なのか,「単に観るもの」なのかは,ひとそれぞれですね。ただ,山頂からの眺望は,登山の疲れをそれだけで癒して余りあるものがあります。加えて,下山すれば今度は近くの温泉,露天風呂でゆったりと体を癒します。湯布院では露天風呂から遠く霞んだ由布岳山頂を眺望することが出来,「あんな所まで登ったんだ」と感慨深いこと請け合いです。福岡からマイカーで朝7時に出て,九州自動車道・大分道を利用すれば,夕方には帰宅できます。もちろん,温泉旅館に一泊して郷土料理に舌鼓を打てる贅沢が出来ればなおいいですね。
さて,今回ご紹介するのはノンフィクション紀行記です。作者は1947年北海道小樽市生まれ。20歳で1人前の羆(ヒグマ)ハンターとなり,父親に連れ立たれた幼少の頃からすれば,ハンター歴は半世紀を優に超えています。彼は20年以上もの間,狩猟だけで生計を立てたことがあり,本作品はこの狩猟生活時代の一部を綴ったものです。獲物は70年当時,一頭の売値で,鹿は角がよければ頭だけで10万円で剥製屋に,狐の皮1万円,エゾライチョウはつがいで5000円,羆は毛皮,胆が良ければ30万円になりました。1年で平均して羆1頭,シカ2頭,キツネ20頭,エゾライチョウ20羽獲れれば80万円になりました。一方,彼1人の山での生活には,猟場を移動する車の維持費や,米,味噌代などの食料費,たばこなどの嗜好品を入れても50万円あれば十分でした。食べることだけは出来たということです。
日曜ハンターをしていた父の影響で,小学生の頃から猟に同行。その頃から,獲物の鍋をつつきながらの猟談義に同席して,冒険小説よりも心が躍った。羆の皮の剥ぎ方,肉の切り分け方,骨の外し方を一人前のハンターと同じように教わった。父の銃は村田の単発散弾銃。獲物は,羆,シカ,ウサギ,エゾライチョウ,カモ,キツネ,タヌキ。二十歳になると,待ってましたとばかりに銃の所持許可証,古ぼけた村田銃,狩猟免許証を手に入れる。大学の春休みには初めて単独での羆猟。車を山の入口に置き,そこから12㎞歩いてベースキャンプを張る。ベースを中心に毎日,軽装備で雪山を奥深く分け入り厳寒の中,何日もビバークを重ね羆の足跡を探す。3週間以上経ったある日,ついに羆の穴蔵を見つける。以下引用する。「・・・引き金を引いた。手応えがあった・・・唸る声が私の耳の中を震わせ腹の底にまで響き渡る。立ち上がっている羆の胸を狙って2発目を撃ち放つ・・・羆は沢の底で雪を掻きむしって転げ回り,怒り唸り吠える。のたうちまわりながら木に噛みつきへし折る」「羆の腹を開いて内蔵を出す。肝臓から胆を慎重に外し,胆管を紐で縛り,潰れてしまわないように飯盒に入れる。血だらけの手はもう・・・」。続いてシカを仕留めた解体の場面はこうである。「ナイフを取り出しシカの腹を裂いた。その腹腔に凍えてかじかんだ両手をもぐり込ませて温める。・・・解体に取りかかる。丁寧に剥がした皮を焚火のそばに置き,そのうえに腰を下ろす。心臓を取り出して生木の枝の串に刺し,塩をふって焚火で炙る。・・・焼けたところから小さなナイフで切り取っては口に入れる。うまい」「鹿は生命のぬくもりで私の凍えた手を温め,旨い肉となって腹におさまり,私の生命に置き換わってくれた」「自然の中で生きるものの価値とは何だろう。生命とは,死とは・・・斃された獲物が肉となって誰に食べられても,これは旨いと言ってもらえ,自分で食べても最高の肉だと常に思える獲り方を心がけ実行しなければならない」。これら,実体験だけにその迫力には圧倒されるばかりである。
その後,彼は狩猟で蓄えた小金をもとに,自分の猟の腕を試すためプロハンターの本場であるアメリカに渡る。厳しい武者修行の末,日本人初のプロハンティングガイドの資格を優秀な成績で取得し,アメリカでガイド助手を務める。帰国してからは,アイヌ犬を狩猟犬として育て,フチ(火の女神)と名付けた。絶好のコンビを組み再び狩猟生活へ。大自然の中でフチとともに,木の実,野草を食べ,雪解け水を飲み狩猟を続ける。充実した毎日。しかし,やがてやってくるフチとの別れ,家族とも違う相棒との死別・・・。
今回も全く知らない世界を垣間見て,「これだから読書は止められない」ことを改めて認識しました。
いずれ,彼は漫画家だった女性と家庭を持ち二人の娘さんを設け,自然の中,厳しく育てます。子どもたちと近くの山や川に遊びに行くときは,弁当などは持参せずに食料は現地調達します。釣った魚を焚き火で焼き,山菜で汁を作ります。シカ撃ちに連れて行き,獲物を一緒に食べます。この様子の一旦は,「大草原の少女みゆきちゃん」として北海道放送のドキュメンタリー番組になりました。DVDで観ました。作者本人も出演しており,まったくもって,想像していたとおりの人物で,作品への感情はより一層深まりました。彼は,現在も北海道標津町で牧場経営の傍ら猟をしています。彼は猟は続け,変わりつつある野生動物の行動を観察します。DVDで少女だった娘さんたちは,いずれも大学を卒業して,牧場を手伝いながら乗馬用の馬の調教をしたり,自然環境の保全に取り組んでおられます(了)。
